講演会「東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫」於:台東区立中央図書館 (2014年1月25日)

 

1月25日、標記講演会に行ってまいりました。ほぼ1ヶ月前のメモで恐縮ですが、まだ企画展「かつて浅草にあったコレクションたち。浅草文庫と台東図書館」会期(2012年12月25日から2014年3月25日まで)のうち、ということでお許しを。

※企画展のメモ:企画展「かつて浅草にあったコレクションたち 浅草文庫と台東図書館」台東区立中央図書館

 

※本文は聞き取れた・読めた・書き取れた範囲での理解をもとに書いております。講演会後にわかったこと(スライドで使われた図版等の掲載資料、サイトなど)は脚注にて補記しました。誤字脱字、事実誤認等ありましたら、コメントいただければ幸いです。

 

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2014年1月25日(土)14:00~15:30
東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫
北海道大学教授 佐々木利和先生
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講師紹介

法政大学大学院⇒東京国立博物館文化庁文化財部美術学芸課主任文化財調査官⇒民博教授⇒北大・東博名誉館員*1

 

講師自己紹介

東京国立博物館(以下「東博」)で、主流(浮世絵、絵画、工芸…)でない資料を長く扱ってきた。
・草創期の東博は、ヨーロッパに追い付け追い越せ。とにかく北から南までいろいろ集めており、自分たちの国に住んでいる異文化(アイヌ琉球)のものも集めた。それらは蔵の肥やしになっていた。
・そういった誰も扱わない資料は、若い自分に扱いやすかった。20代で東博に入ったとき、裏道を通ったらそこが花道だったというような体験をした。ものすごい資料群。
・もうひとつは図書室。当時、図書室書庫(洋装本や和本)は職員なら自由に入って見ることができた。他の資料の収蔵庫は上司に許可を得てカギを借りる必要があった。
・組織が変わって今は東博「資料館」かな?*2 西門から入る方が近い。国際子ども図書館と一緒に利用するといいかも。

官立浅草文庫について

帝室本蔵書印の流れ*3などをもとにした説明。

東博にある帝室本蔵書印の変遷を並べたもの、多少変更しなければならないが。
・一番右側に並んでいるのが江戸幕府の蔵書印。明治維新後、接収。昌平黌、昌平坂学問所の資料が大学校へ、蕃書調所が開成校、医学図書が大学東校典籍局へ。
・教育行政を文部省に。文部省の時に書籍館ができる。博物局の中に書籍館
・明治6年、ウィーン万博の時にいろんなものを集めるためにできたのが博物局。博物館と書籍館があった。
薩摩藩町田久成(訪英団団長)がロンドンで視察した大英博物館に刺激を受け、大博物館構想をたてた。博物局の中に博物院、書籍館

・官立浅草文庫とは、明治7年7月から14年4月まで、浅草区御蔵前片町に存在していた図書館。

・前身は湯島にあった書籍館。地方官会議所になるため出ていけといわれ、湯島聖堂から浅草米蔵跡へ移転、「浅草文庫」となる。博物館は、農商務省内務省宮内省へ。

・『日本百科大辞典』の「浅草文庫」の項「四 東京浅草に在りし官立図書館」の記述。
「浅草旧米庫八番堀(現今浅草区御蔵前片町高等工業学校内)に(中略)書籍収蔵所に宛て」。片町高等工業学校というのは、今の東工大湯島聖堂が地方官会議に使われることになっため、浅草に移した。和漢書1万7千余部。「部」というのは10冊でも(同じ題名なら)一部。

・浅草にあった幕府の米蔵を使って作った図書館。明治14年5月に縦覧を停止する。7年間この地にあった。のち博物館書籍室。資料は東博独法になってからは列品になって、見られない資料も増えたようだ。

(ここで余談)
・私たちの仕事は、その資料はどこにあって誰が持っていたものなのか、と大事にする。森銑三先生に本をご覧に入れたんです。そのとき、先生は本をおしいただいて、君に会えてよかったよ、というように表紙をなでて、そしておもむろに親指の腹で本を開く。ああいうお仕事をする人は資料に対する態度が全然違うんだと学びました。

 

博物館の組織

・文部省博物館、博覧会事務局、内務省農商務省宮内省
天皇の財産の問題。御料、王室の動産もあり、ということで、博物館の資料が天皇の財産になった。戦後、国立博物館になり、2003年独法になった(訂正あり)*4
独法になった国立博物館の来館者数、東博一人勝ちといわれる。

浅草文庫誌』(日本古書通信社)1974 (古通豆本)について

・この本を書いた樋口秀雄先生は博物館の図書室に長く勤めていた方で、蔵書については神様のような人。この豆本東博にもないかもしれない。
・なかなか古書市にも出ない。1冊こちら(台東区立中央図書館)に置いていきます。

湯島の書籍館(図面) *5 を見ながら

・湯島の大成殿を使用。建物はほとんどそのまま。

 

告示、規則など

書籍館開設広告と借覧規則*6*7

書籍館は幕府の持っていたものに足りないものを集めて文部省博物局が開設した。
・借覧規則、これが今とはだいぶ違う。貸出をしていなかった。
・また、使用料金が必要だった。今の図書館はアメリカ式で無料だが、料金をとってもよいのでは?インターネットは学問、文化の発展になるのか。資料はその場に行って調べなさい、と言いたい。


(ここで余談 借覧規則に飲食の禁止があるのを受けて)

森銑三先生は絶対食べ物飲み物を資料のあるところに置かない。
・手袋、絶対だめですからね。こないだ国立の某機関の人が三脚で撮影するときに手袋を。でもめくれるわけがない。
・あるアメリカの美術館の調査で巻物を見るとき、キーパーと称する人が手袋を持ってきて、これをはめろという。だけど、自分は日本人で日本の資料を扱ってきた。手をきちんと洗って扱えば大丈夫、と主張した。結局キーパーに手袋をはめさせて「めくれますか」と確認したが、めくれない。素手で扱わせてもらった。
・TVで手袋はめて紙のものを扱っている人はうさんくさい奴だと思ってくれて大丈夫。

太政官宛博覧会事務局上申」明治7年7月29日*8

昌平坂書籍館ノ儀、浅草米倉八番堀構内江移転相成候ニ付テハ、(中略)同所之儀向後浅草文庫ト相唱申度、右一件之規則等ハ取調之上、追テ可申上候得共、此段相伺候也

 

「博覧会事務局告知」明治7年8月*9

 今般湯島書籍館ノ図書ヲ浅草須賀橋畔ノ元米倉庫地内ニ転遷シ、更ニ浅草文庫ヲ創立ス。他日開場ノ後、衆庶ノ借覧ヲ允スニ当テハ其規則等ハ追テ之ヲ告示スベシ

書籍館はここに浅草文庫と改称した。

浅草文庫仮事務章程」

星野寿平が浅草文庫を掌握。冒頭に

一 浅草文庫中経費其外一切ノ出納事務星野寿平ヘ申談取扱可申事

としている。

浅草文庫借覧人心得規則*10

書籍館からひきつづき、浅草文庫も有料だった。

一 来観スル者ハ一日金一銭ヲ借覧料トシテ収ムヘシ

一 三ヶ月以上借覧スル者ハ一日七厘六ヶ月以上借覧スル者ハ一日五厘ノ割合ヲ以テ借覧料目的期日マテノ金額ヲ収ムヘシ其節借覧料請取ノ証書ヲ渡スヘシ

館外への貸出もなかった。

一 書籍ハ凡テ門外ヘ出ス事ヲ禁ス若シ官省ノ用ニ供セン為メ門外ニ出ス事ヲ要スル時ハ更ニ副本ヲ作リテ其需ニ応スヘシ

 

施設など

浅草文庫の借覧所および事務所(写真)*11

・浅草に移った当初は、閲覧場所がなく、後から作ったので、開館が遅れた(明治8年5月から業務を開始)。
・写真にいる2人のうち左側が星野寿平(キーパーソン)かと思われるが、この人の写真は残っていない。

浅草文庫借覧所・事務所(図面)*12

・1階と2階の図面。書籍風入(かぜいれ)場が2階にあり。虫の害を防ぐ。
・1階に事務室、食堂。

 

三条実美の書と印・鬼瓦

三条実美の書。東博120年展の時に出ている。蔵書印にもかなりきちんとうつしているでしょう?

浅草文庫目録(写真)

・書画目録。医書目録(博物局図書課編)もあり。東博に残っている。イロハで分類。

 

旧献納本と新献納本

書籍館は旧幕引継書を蔵書の基礎としたが、その他にも献納という形で蔵書を増やした。
旧献納本湯島聖堂への献納。岩崎源蔵灌園らによる。善本多い。
新献納本明治維新後。堀忠明、町田久成、田中芳男らによる。塙忠韶の和学講談所本も。
古写本 塵袋(ちりぶくろ) 一部十一冊*13
町田久成による新献納本。町田は薩摩の家老の家系。大久保が暗殺されなければ、もしかしたら大博物館構想が実現していたかもしれない。

書籍館浅草文庫の蔵書数内訳、官職*14

・明治8年9月4日付職員一覧のうち、第六局長に内務省出仕町田久成。以下考證科書籍掛としておかれた「浅草文庫詰」の官員は星野など5名。ほかに御雇、門衛等十人。
星野寿平 旧幕時代から昌平黌に勤め、書籍館の創設に参与、やがて博物館書籍室の閉鎖に立ち会う。
村山徳淳 東博に残っている資料の目録(『博物館書目解題略』13冊 *15)はこの人による。
・御雇の中には写字生(筆生)がいたが、常々人が足りないとも。

星野寿平勲墓碑銘(島田篁村『篁村遺稿巻下』大正7年より)

島田は昌平黌のことを書いてみたいと星野に訊いていたが、いろいろ出来なかった、と言っている。書こうと思ったら星野はいない……。

ラベル、蔵書印について

スライドを交えていろいろ説明あり。

御蔵前邊図(表紙写真)
このラベルが極めて重要。
(とのことだったが、2枚貼付されたラベルのうち東博しかわからなかった……帝室博物館?)

『御蔵前邊図』
左下刊記欄外に「浅草文庫」印。

外袋(『御蔵前邊図』(か?何のかは聞き取れず))
帝室博物館ラベル、帝国博物館ラベル、帝国博物館蔵書印。

『御蔵前邊図』(か?)
町田久成献納書」印によって新献納本だとわかる。

『塵袋』第一(表紙裏及び標題紙?)
最初に押された印はどれか。印は最初に右上に捺す場合と右下に捺す場合とがあるが、この写真の場合、右上「石谷蔵書」印(せっこく、町田久成の号)、右下「町田久成献納之章」印、そのすぐ左隣に「浅草文庫」印、中央上部「書籍館」印の順に捺されている。

 

博物誌的な資料

主催者からは博物誌的な資料も紹介するように、と言われているのだけれど。

伊能忠敬蝦夷地図』大図・シリウチからヤマコシナイ(写真)

左下に「浅草文庫」印。

「伊能「小図」の副本あった 東京国立博物館に収蔵」(北海道新聞2002年8月9日記事)

東博にあるとわかっていたが、どこにあるのかわからなかった。九博準備室の若いものが東博収蔵庫を探していて見つけた。
・大友正道氏HP2007-8-20 http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/simenawa/shouzu_hakken.html
↑新聞記事そのまま載せてます。

伊能忠敬『日本沿海與地図』小図(写真)

個人の献納、昌平坂学問所の朱印。

浅草文庫献納書目

大図、小図ともに高橋景保の献納であることがわかる。
(左頁のは)内閣文庫へ。

デジタル葵文庫より AJ16 蝦夷地全図(安政2年)の表紙

昌平坂」黒印は、公に入ってきたことを示す。蔵書印の色も気をつけるべき問題。

伊能図の種類

伊能忠敬研究会渡辺一郎さんの論文から引用。大図、中図、小図(こず)の大きさがわかる

伊能忠敬『九州沿海図』小図

右下に「浅草文庫」印。

伊能忠敬『九州沿海図』大図

関門海峡。右下に「浅草文庫」印。

浅草文庫献納書の返却本「からいとさうし」(国立公文書館蔵)

浅草文庫」「日本政府図書」「内閣文庫」の順に捺されている。

 

書籍館浅草文庫から政府への返却本「五山群緇考」林羅山著(国立公文書館蔵)

・「和学講談所」印(塙氏の献納であることを示す)、「浅草文庫」印、「書籍館」印、「日本政府図書」印の順。
・それぞれ政府の意向で東博から「返納」した資料。宮内庁に行った本も。

 

東京国立博物館蔵書目録(和書1)*16

浅草文庫由来の所蔵資料「帝室本」の目録。
・帝室本の目録がなかなか作れなかった。ちなみに、和書2は、徳川宗敬からの寄贈本。
・この目録はここがすごい!その資料に捺された蔵書印がすべて記載されているんです。あ、これ順番違ってる……けど印は合ってます。

江戸幕府旧蔵資料の総合的研究』

文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書*17。図書館では買えない。多分東博の資料館では見られる。
・印記の記述が充実。
・博物図譜に関する動植物の一覧(東博HPにあり)*18

 

博物書に関して

・田中芳男(町田久成のあとに東博の事実上の館長になった人物。洋書調所に呼ばれ、幕府から明治政府で登用された)
町田久成は赭鞭会(しゃべんかい)の資料とか本草図譜をまとめた。馬場大助の群英類聚図譜(東博にしかない)。合紙を入れてあるのが珍しい。
・馬場大助は美濃の旗本。9千石。陣屋の跡が残っている。菩提寺には、博物資料あり。 馬場様の家来が、売りに歩いていたとの証言。岐阜県立博物館で展示。*19

 

さいごに

・たった7年しか浅草になかったが、大変な活動をしていたと思う。もう少し緻密に調べていっていただきたい。北海道では、浅草文庫の研究はできない。
・かつての所蔵資料は東博(列品になったので昔のようには請求できませんが)、宮内庁や、国立公文書館などに関係資料がありますし、ぜひ皆さん調査していただきたい。

・これで終わりですが、ぜひ東博をおたずね下さい。

 

 

感想など

・町田が献納した『塵袋』や、『浅草文庫医書目録稿』は、一昨年の「東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 東京国立博物館140周年特集陳列 資料館における情報の歴史」(2013年1月8日(火)~2013年3月3日(日))http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1589 に出展されていた。今回のお話を聞いた後だったらもっと目を皿のようにして見たに違いない(後悔)。図書室のDBでも所蔵が確認できるとよいのだが、列品になってそれが難しい?

・さいごに佐々木先生がおっしゃっていた「北海道では浅草文庫の研究はできない」というおことばがずっしりきた。質疑の時間に今後調べるべき課題など伺えば良かったなあ、とこれまたいまだに後悔している。

 

展示会はまだ開催中

企画展「かつて浅草にあったコレクションたち。浅草文庫と台東図書館」台東区立中央図書館で、2013年12月25日から2014年3月25日まで)はまだ開催中。ぜひご覧になることをおすすめします。 そしてお帰りには、合羽橋通りをお散歩して、

もぜひ。

*1:参考:佐々木利和 | 国立民族学博物館

*2:東京国立博物館 - 調査・研究 資料館利用案内

*3:佐々木利和.「博物館書目誌稿-帝室本之部博物書篇」東京国立博物館紀要 (通号 21) 1985. p135~252 に掲載

*4:2001年(平成13)4月に独立行政法人国立博物館東博、京博、奈良博の3館を統合)、2007年(平成19)4月独立行政法人国立文化財機構(九博を加えた独立行政法人国立博物館に、独立行政法人文化財研究所(東文研、奈文研)が統合)

*5:同上

*6:同上. p141に「書籍館開館告示」「書籍館書冊借覧規則」挿図あり。

*7:東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 3.書籍館浅草文庫 博物館蔵書の基礎」http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=146 にそれぞれ画像あり。

*8:東京国立博物館百年史』東京国立博物館, 1973. p102

*9:同上

*10:同上, p142

*11:同上, p142

*12:樋口 秀雄. 浅草文庫の創立と景況. 参考書誌研究 / 国立国会図書館主題情報部 編.. (通号 4) 1972.03. http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0CCsQFjAA&url=http%3A%2F%2Fdl.ndl.go.jp%2Finfo%3Andljp%2Fpid%2F3050876&ei=9EgJU5e2K4LOkwWur4CgAg&usg=AFQjCNFDoTRYJihmYHg6hIGZrd4Mrja77g&sig2=4ZKb8w5Q0kLyuOcGOIXk4g&bvm=bv.61725948,d.dGI&cad=rjaに原図と思われる挿図あり。スライドでは活字になっているので、別の資料に掲載されているものと思われる。

*13:東京国立博物館 - 1089ブログ「博物館は寄贈品でできている─その1」http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2012/09/10/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%AF%E5%AF%84%E8%B4%88%E5%93%81%E3%81%A7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B1/ に写真あり

*14:佐々木利和.「博物館書目誌稿-帝室本之部博物書篇」東京国立博物館紀要 (通号 21) 1985. p135~252. 蔵書数はp158、明治8年9月4日付の考證科書籍掛としておかれた「浅草文庫詰」の官員はp159

*15:「日本の博物学シリーズ 森鴎外と帝室博物館」2005年3月29日(火) ~ 2005年5月8日(日) http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=344 などに出展

*16:東京国立博物館 編. 東京国立博物館蔵書目録.和書1. 東京国立博物館, 1998.3. 511p ;

*17:高橋裕次, 東京国立博物館 [著]. 江戸幕府旧蔵資料の総合的研究. [高橋裕次], 2005-2007, 2008.3. 514p.

*18:東京国立博物館所蔵博物図譜WEBデータベース」http://dbs.tnm.jp/infolib/meta/CsvDefault.exe?DEF_XSL=default&GRP_ID=G0000002&DB_ID=G0000002070723ZF&IS_TYPE=csv&IS_STYLE=defaultの ことか? あるいは、「歴史を伝えるシリーズ 博物図譜―日本的研究の展開―本館 16室 2008年4月1日(火) ~ 2008年5月25日(日)」http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=512で言及されている、東博表慶館「みどりのライオン」体験の間で体験できたという、博物図譜の動物・植物検索コーナーのことか。

*19:佐々木先生は岐阜県立博の図録に『馬場大助そして赭鞭会のこと』(岐阜:花と鳥のイリュージョン)をお書きになっている。また、江戸いきもの彩々 : 総合図書館貴重書展 : 平成23年度東京大学附属図書館特別展示 : 展示資料目録http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/51283 も参考になりそう。