企画展「かつて浅草にあったコレクションたち 浅草文庫と台東図書館」台東区立中央図書館

 

 1月25日、曇り空の鴬谷駅南口改札から左側に曲がって、言問通りを進むこと約15分。目的は、企画展「かつて浅草にあったコレクションたち 浅草文庫と台東図書館」(台東区立中央図書館、2013年12月20日から2014年3月19日(木))と講演会「東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫」である。

 

 台東区立中央図書館の2階郷土・資料調査室の一角に2012年11月、「浅草文庫コーナー」が開設された。ここには「浅草文庫」の鬼瓦を木で模して作られた看板がある。もともとこの看板は浅草観光連盟が浅草文庫(後述)を作った際に作られたもの。官製浅草文庫(これも後述)の蔵書印に刻まれた太政大臣三条実美の筆蹟が瓦にも写され、さらにその瓦が模してあるのだという。

 今回の展示会は、この浅草文庫コーナーのとなりにある「ゆかりの文学コーナー」で展示用書架2連と壁面ガラスケースを使って行われている*1

 展示は時代別に3部構成。

  1. 江戸時代、明治時代の浅草文庫
  2. 昭和〜平成時代の浅草文庫
  3. 台東図書館

 

1.  江戸時代、明治時代の浅草文庫

 「浅草文庫」と名のついた文庫は、江戸時代から明治時代にかけて複数あるが、ほとんどは個人蔵書家による民間運営のため、一代限りで消滅した。

  1. 板坂卜斎による浅草文庫(1578-1655)*2
  2. 堀田正盛による浅草文庫(1608-1651)
  3. 木村重助(幕末の御家人)による浅草文庫
  4. 官立図書館浅草文庫(1874-1881)
  5. 大槻如電による浅草文庫(1845-1931)

 江戸時代の浅草文庫に関しては『日本百科大辞典』が最も詳しく、4点の蔵書印が紹介されているが、『日本百科大辞典』では木村重助の蔵書印として紹介されている「浅艸文庫」長方印は、図版(国立国会図書館デジタルコレクション - 紀伊國名所圖會 [初]・2編6巻, 3編6巻. 後編(二之巻) 浅草文庫印」の項によると、板坂卜斎の「浅艸文庫」長方印であることがわかる。

 

 1月25日の講演会「東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫」のお題にある浅草文庫とは、明治7年から14年まで浅草米蔵跡にあった文庫のことである。

展示パネル「明治時代の浅草文庫」から引用:

 明治7年、湯島聖堂にあった初めての公立図書館「書籍館(しょじゃくかん)」を、浅草米蔵跡に移し、同14年の上野公園移転まで一般に閲覧させました。この間の蔵書印「浅草文庫」が捺された書物は、東京国立博物館国立公文書館に遺されています。

 

 書籍館がなぜ「浅草文庫」になったのか、どんな資料があったのか、などは講演会で佐々木利和先生によって語られている。


2.  昭和〜平成時代の浅草文庫

 メモとってくるんだった。恐ろしい程記憶がとんでいる。現在の台東区立中央図書館にある「浅草文庫コーナー」について、だったと思う。

 現在の台東区立中央図書館にある「浅草文庫コーナー」の資料は、江戸・明治期の浅草文庫のそれとは別のものである。昭和52年(1977)に浅草観光連盟が設立し、のち台東区に寄贈されたいわば新しい浅草文庫の所蔵資料で、演芸関係の図書が多く集まっているのが特徴である*3

#レファレンス協同データベースの特別コレクションにもデータがあったらいいのに

 

郷土・資料調査室:台東区立図書館 より引用:

浅草文庫の資料は、浅草の歴史文化を反映し、「芝居」「演芸」など芸能ジャンルに関するものが多く集まっているのが特徴的です。松竹歌劇団をはじめとする国際劇場で開催された演劇やコンサートのプログラム、歌舞伎の筋書など、今までの郷土資料とは一味違う資料もございます。

 

浅草観光連盟が所蔵していた「浅草文庫」の蔵書が台東区に寄贈されました 台東区ホームページ より引用:

 このような経緯のなか、昭和52年11月、浅草観光連盟が、明治期の図書館の意志を引き継ぐことを目的として、旧東京電力浅草サービスステーション内に、「浅草文庫」として開設しました。 平成12年7月テプコ浅草館開館に伴い、当館2階に移転し、平成23年3月11日の震災後閉鎖するまで、閲覧のみの文庫として、開設していましたが、5月31日テプコ浅草館閉館により、「浅草文庫」も閉館されました。 このたび、浅草観光連盟の所蔵されていた「浅草文庫」の蔵書が、12月1日午後4時、台東区に寄贈されることとなりました。

 

 昭和52年(1977)新浅草文庫設立趣意書、浅草館(平成12年(2000))リーフレット等を展示。閉館した施設のリーフレットの類は再び入手することが難しいので、このように図書館で郷土資料としてきちんと整理されているのは素晴らしいと思う。


3. 台東図書館

 昭和36年(1961)東京都台東区立図書館設置条例で設置が定められ*4、翌1962年1月23日に東京都台東区三筋に台東図書館が開館する。やがて図書館報が刊行されるわけだが、ことば使いを新鮮に感じて読んだ。

展示資料. 台東区議会議長 長沼金次「台東図書館報の創刊にあたって」台東区図書館報第1号(昭和37年(1967))より引用:

 このたび”民衆とともにある図書館”を標榜する台東図書館が、区民の皆さんとの心のきずなとして図書館報を発行する運びとなりましたことは、ご同慶にたえない次第であり、今後の発展を希望してやまないものであります。

 

 また、恥ずかしながら知らなかったのだが、台東区は自動車文庫を運行していた(都心部でありながらという自負もあった?)。

展示資料.「自動車文庫ひかり号特集」台東としょかん19号(昭和43年(1968)3月31日発行)より引用:

 従来自動車文庫は、農村地帯の図書館活動ということになっておりますが、本区ではこの館界の常識を破り、都心部におけるサービス網の充実という面から実施いたしました。

区内の公園、お寺等の24指定配本所(中略)、1968年3月現在自動車文庫団体数303、2121名の登録利用者を見るに至っております。

  その後、台東区三筋にあった台東図書館は閉館し、平成13年(2001)9月26日、現在地に移転開館する。同時に池波正太郎記念文庫を1階に開設した。

 

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 展示コーナーはコンパクトで、一見5分で見終えてしまいそうだが、書籍だけでなく、記録写真、平面図、パンフレット、しおり、貸出券などの現物、パネルやデジタルフォトフレームも活用していて、この分野に関心のある人だと時間がかかりそう。実際、講演会に来ていた人たちが結構な時間を使っていたようだ。

 アンケート記入台に、「台東図書館・浅草図書館の思い出」として、本を開いた形のふせんが用意されており、掲示された紙に展示パート別に貼るようになっていた。「1月17日以降順次更新します」とあったが、更新ってここにふせんを貼ることだろうか。それとも、ふせんの内容を展示替えに活かすということだろうか。

 


入場料:無料
図録:なし
展示リスト:あり(展示品リストと書籍リストをA4用紙に両面印刷)
鑑賞所要時間:50分

*1:改めて展示リストを見たら2階にも「台東図書館影絵用舞台」が出ていたのに気付いた。これからいらっしゃる方は1階も要チェック

*2:図版(元禄10年(1697)分間江戸図)浅草観音堂と富士権現の間に板坂卜斎の文字あり

*3:平野 恵. ウチの図書館お宝紹介!(第129回) 台東区立中央図書館 浅草文庫図書館雑誌. 107(6)=1075:2013.6. 356-357

*4:同条例は廃止され、現在は、東京都台東区生涯学習センター条例(平成13年6月20日条例第55号)で定められている

私はまだグンマを知らない「山口晃展 画業ほぼ総覧」群馬県立館林美術館(後編)

 

前編からの続き)

 

  

○ひろがる山愚痴屋的世界

書籍、CDジャケットなどの原画等を壁面に展示。『親鸞』シリーズは恵信の歌掲載時になぜ切り抜いておかなかった自分よ*1、と後悔しており、昨年の横浜そごうでの展示*2につづき、ここでもじっくり見られて満足。それに、横浜よりも館林の方が観客の反応がいい。槙原敬之LIFE IN DOWNTOWN」の歌詞カード、CDジャケットの原画は思っていた以上に小さく細密な表現。また、WORLD ORDER「2012」の歌詞カードとメインジャケット原画(須藤元気氏蔵)の水彩の繊細さは彼らの緻密な動きをシャープにやわらかく見せる。

 

○山愚痴屋澱(オリ)エンナーレ

 第2回から第4回までの澱エンナーレ出展作品から8点。横浜そごうで調子の悪かった「リヒターシステム」*3はここでは絶好調だった。画伯は自分のフィルターを通じてあれこれ出せる現代作家なんだよなー。なのにオファーは大和絵的なものが多そうだからこんな噴出が(もっとやって

 

○眺望絶佳

 日本橋三越のポスターなど、おなじみの鳥瞰図あれこれ。くたびれてきた観客もまた元気になっていたような気がする。個人的には現物を初めて見た「倉敷金比羅圖(くらしきことひらず)」(2005年 油彩、水彩、墨・カンヴァス 大原美術館蔵)が、ケースなしで屏風状に立てて展示してあり、かなり近い位置で描写を確認できたことがありがたい。

○百人百態

 最後の展示室4に「すずしろ日記」「すずしろ日記洋行編」「千体佛造立乃圖」など。

 

 

偽史和人伝中茸取物語

 さいごの2部、「眺望絶佳」から「百人百態」に向かう通路の壁に展示された「偽史和人伝中茸取物語(ぎしわじんでんのうちたけとりものがたり)」で、この地ならではの体験をした。

 赤い布を張ったボードに、かるたとおぼしき絵札と読み札が一組ずつ並べられており、主人公である「命(みこと)」(もっと長い名前だったのにメモがとれなかった。豊城入彦命か?)がお告げにより三人の姉妹を訪ねていき、数々の冒険を経て神の鳥を得る…という上野国の成立を物語る作品。

 が、どうもおかしい。絵札と読札の大きさが微妙にずれているし、読札はあきらかに画伯の手書きなのに、絵札は複数の描き手と思われる*4画風で印刷されたもの。凝ってるなー、と思って必死に物語を追っていると、右からきたご婦人がたが「あらこれ上手ねー」「絵も自分で描いてるのね」(意訳)と話している。思わず「あ、あの、この絵札、上毛かるたじゃないんですか」と尋ねると、「うん、少なくとも私がやっていたのはこの絵じゃなかった」。ええ?!絵札も画伯なの?!*5 *6 *7*8 

 そんな私にはちらりともせず、次々やってくる人たちはみな絵札に反応している。中学生女子グループは「れ、れきしになだかい?」「(ニヤリ)にったよしさだ!」と答えあい、母親は幼い姉妹に向かって「よ、よのちりあらうしまおんせーん!」「へ、へいわのつかい、にいじまじょー…って、あははー、どんだけおぼえてんだわたしー」と照れながらも自慢げに語り、肝心の読み札が語る上野国成立記はさっと流して最後の展示室へとわたって行く。

 だが自分ひとり、あの嬉しさに、参加できない。

 

 そう、これは群馬県民とそうでない人を分ける通路だったのだ!

 

 恐るべしグンマ。噂には聞いていたが、あれはかるたへの愛とかそんなんじゃなくて、深いところにしみこんでいたものが即座に反応して出てきちゃった感じだったぞ*9

 本作品は展覧会開始時期には製作中だったそうで、完全な形で公開されたのは会期途中からだったらしい。展覧会に行くのは、混むし前期の目玉は見逃すしでいいことない、と思っていたけれど、この風景が見られてよかった*10

 

 そして、私はまだグンマを知らない。

 

入場料:

一般800円

図録購入:

予約済 (1600円+送料340円)3月に送られてくるらしいが、どうだろう。当初12月発売予定だったらしいし

おうちにもってかえりたい:

「神鳥圖(しんちょうず)」(1996年 油彩・板 庄屋久平 籾山順二氏蔵)

中西夏之氏公開制作之圖」(2003年 油彩・カンヴァス)  何度見ても好きだ

「ヤマグチシステム」(2013年 アクリル板、和紙、群馬県立館林美術館フライヤー) 金雲を貼ったアクリル板をのせると展覧会チラシが山口晃風に見えるというライフハック

本日のシカつやつや:

「大鹿」フランソワ・ポンポン(1929年 ブロンズ 鋳造は1975年頃)[彫刻家のアトリエ(別館)]フランソワ・ポンポン関連資料より-シロクマをめぐって-

鑑賞所要時間:

約2時間30分(ほか常設展に30分)

 

 

 

*1:当時勝手に曲つけて歌った

*2:そごう美術館「山口晃展 ~付り澱エンナーレ 老若男女ご覧あれ~」(2013年4月20日(土)~5月19日(日))http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/13/0420_yamaguchi/

*3:山口晃展 ~付り澱エンナーレ 老若男女ご覧あれ~ | トピックス | 美術館・博物館・イベント・展覧会 [インターネットミュージアム]に写真あり

*4:旧版・新版ともに小見辰男氏おひとりでした。申し訳ありません

*5:あとで調べたら、現在の版は1968(昭和43)年に新版となって発行されたもので、先のご婦人がたが親しんでいたのは旧版と思われる

*6:原口 美貴子.  山口 幸男.   「上毛かるた」の札の分析--社会科郷土学習の基礎資料として.  群馬大学教育学部紀要. 人文・社会科学編..  (通号 45) 1996. 197~214 ISSN 0386-4294 http://hdl.handle.net/10087/755

*7:山口 幸男.  原口 美貴子.   上毛かるた50周年記念フォーラムの記録--群馬の宝,日本一の上毛かるた.  群馬大学教育学部紀要. 人文・社会科学編..  (通号 46) 1997. 221~249 ISSN 0386-4294 http://hdl.handle.net/10087/761

*8:2013年12月10日から2014年2月26日まで群馬県立図書館で「上毛かるたに関する資料展示」開催中(http://www.library.pref.gunma.jp/?page_id=220)。 展示リスト(PDF)によると同館所蔵の旧版も展示されている

*9:ウェブマンガ「お前はまだグンマを知らない」第6話 (http://kurage-bunch.com/manga/gunma/06/)を最初読んだとき、大げさじゃないかと思ったが、この通路を経て、このぐらい大げさに描かないと笑いにつなげられないのだと悟った

*10:午後は向かい風が吹いてきて、多々良駅へと歩く間、やたらと涙が出た。辛いことがあったからじゃない。冬の北関東だからだ

私はまだグンマを知らない「山口晃展 画業ほぼ総覧」群馬県立館林美術館(前編)

 1月11日の土曜日の朝、なんどかの乗り換えのあと、東武伊勢崎線多々良駅に向かう車窓には、雲ひとつない晴天のもとに田んぼが広がり、その先に美しい富士山が見えた。ああ、まさしく冬の関東平野だ…。

 

 山口晃(以下「画伯」)は東京生まれの群馬県桐生市育ち。その群馬県館林市にある群馬県立館林美術館で「山口晃展 画業ほぼ総覧-お絵描きから現在まで」が2013年10月12日から1月13日まで開催された。「ほぼ総覧」というだけあって、おなじみの鳥瞰図やCDジャケットや本の装丁はもちろん、幼少のころのお絵かきなど、(たぶん)初公開のものまで、ぎっしり80点あまり出展された*1

 群馬県立館林美術館は、最寄り駅(多々良駅)から徒歩20分ぐらい。館林駅からもバスが出ているが、本数が少ないのでタイミングが合わなければ多々良駅から歩いてしまった方がよい。幸い朝は風もなく、気持ちよく歩いているうちに到着した。

 

 展覧会場(展示室2,3,4)は開館まもなくの時間帯のせいか、それとも土地柄なのか、雰囲気がほかの現代美術の展覧会と違う。どちらかというと地元の産業文化祭のような感じで、かぎ針編みのベストやカーディガンをご着用のご年輩の女性と、そのご夫君、という組み合わせが中心で、そこに絵の同好会らしき女性の集団が加わってきた。この手の展覧会にしては年齢層が高く、あれ?と思っていたのだが、午後に子ども向けイベントがあり、帰り際多くの親子連れとすれ違ったところを見ると、ファミリー層はそちらに合わせていたのかもしれない。いずれにせよ、混んでいるといっても、それぞれの作品を正面から見られるだけのゆとりがあった。ありがたい。

 

作品リストは制作年順、展示は8部構成で、制作年順とは限らない。

 

○山愚痴屋諦堂(やまぐちやあきらめどう)誕生

 東京藝術大学入学*2から修了までの6年間の作品が中心。

○身のおきどころ

 東京藝術大学助手時代の3年間の作品が中心。「こたつ派」(1997年、ミヅマアートギャラリーでの会田誠らとの4人展)のDM原画など。

 画伯の線がどんどん定まってくるのがわかる。あと、ユーモアでくるんだ批評精神はこのころからだったんだな、と思う。初めて見るものも多く、ここだけで随分時間を使って見ていた。

 特に、「今様遊楽圖(いまようゆうらくず)」(油彩・カンヴァス)と並べて展示された「今様遊楽圖」(下図)で、どのような色をしているのか、建物のパースの描き方が見て取れる。色は記号(イ(紫)、ロ(黒)…)のほか、「ローアンバー」「ラムプブラック4+ウルトラマリン6」など。手前に描かれた山は吾妻山(481m)という設定まであったのかこれ。

 

 ○ものがたる絵画

『獏園』澁澤龍彦平凡社ホラー・ドラコニア少女小説集成5)の挿絵原画が掲載順に展示。うち、2枚の性的表現の一部を「館長判断」と「学芸員判断」でマスキングしてあった(紙帯に画伯イラストで館長「子どもさんもみに来るコトを考えますと、出さない方向でお願いしたい」画伯「ハァ…」、学芸員「わたくしはコレはチョット…」画伯「ハァ…」)。これは図録ではどうなるのかなあ。

私と20世紀のクロニクル』(ドナルド・キーン 著 角地幸男 訳、2007年 中央公論社)挿絵原画もここで展示。

 

  山口晃と桐生

 幼少の頃のお絵描きから群馬県立桐生高等学校文芸部部誌『洋燈』(ランプ)第4・5・6号(エッセイ、創作、表紙)、スケッチブックなど。画伯3歳10か月のころに描いた蒸気機関車の絵から始まるこどもの頃のお絵かき、に添えられたお父さん?のメモ書き「このころ数字は下から書いていた」などがいい。年代的に美大受験のころに描かれたとおぼしき習作(油彩)、それから、板絵「神鳥圖(しんちょうず)」(1996年)は障子の枠の下の方の板部分(だったと思う) に描かれたもの。木目を活かした絵となっているのも目を引く。こうした地元ならではの参考資料などは、他の会でまた見られる可能性は低いのではないか。

 

ここまでのどこにあったか失念したが、「頼朝像図版写し」(1999年 油彩・カンヴァス 図録2冊)も見た。『ヘンな日本美術史』(2013年 祥伝社)で、子供の頃から『原色日本の美術』で何度も眺めていて、大人になって初めてこの頼朝像の実物を見た時、大変がっかりした経験を元に、色調の異なる2冊の図録からそれぞれ模写したという作品である。図録そのものの退色ぶりも含めて作品なのかとも思う。藝大卒業時の「自画像」(1994年 油彩・カンヴァス)の束帯姿はこれらにつながるこだわりだったのか、とか。

 

後編につづく)

 

 

*1:今回出てなかった作品としては、第4回澱エンナーレ(2013年、そごう美術館)に出てた、小沢剛の「地蔵建立」を彷彿とさせるもの(タイトル忘れた)とか、安住紳一郎の日曜天国の絵はがき(2010年、4枚)(TBS RADIO 954 kHz > 安住紳一郎の日曜天国 にち10オリジナルポストカード http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/card.html)の原画とかは、見たかったなー

*2:某私立美大で1年学んでから東京藝術大学に入学している。学生時代にどのような模索ををしたかは、2008年6月14日にフェリシモが主催した講演会で、画伯が自ら語っており、これが面白い。(山口晃さん(現代美術家)レポート|神戸学校|フェリシモ http://www.kobegakkou-blog.com/blog/2008/06/post-9276.html

明治大学和泉図書館ギャラリー「旧制明治大学を率いた7人のリーダーたち」で明大図書館の関東大震災での全焼を知る

1月10日、東京都図書館協会主催明治大学和泉図書館見学会に参加し、前後の時間に、入り口すぐのギャラリー(ここは入館手続き不要)で開催中の標記の展示を拝見してきた。

旧制明治大学が、大学令規定に基づき、明治大学が総合大学へと発展した時代を写真や資料でつづるもので、木下友三郎(学長)らが紹介されている。

ご案内下さった職員の方によると、明治大学和泉図書館では年8回程度展示会を行っており、今期のこれは、昨年中央図書館で行われた「旧制明治大学を率いた7人のリーダーたち」と同内容だとのこと。

で、何の気なしに眺めていると、その中に「太田為三郎」の文字が!

太田為三郎は、戦前の図書館員で、東京図書館帝国図書館に勤務し、「和漢図書目録編纂規則」制定や「日本随筆索引」などのツール整備に尽力するとともに、日本図書館協会の会長職や台湾総督府図書館長も務めた人物*1

件の展示資料は「東京商科大学(現一橋大学)図書館長 太田爲三郎宛 寄贈依頼状」(封筒と書状)。「明治大学とどんな関係がッ」とキャプションを見ると、

なるほど。当時太田は東京商科大学館長を勤めていた(1929年まで)。

あちこちに送ったであろう依頼状の中で、一橋大学にはこの資料が残っていた、ということなのだろうか?などと思ってしまうぐらい、まったくもって本質的でない拝見ぶりで、明治大学関係者のみなさんには申し訳ない…

規模は小さいが明治大学図書館・明治大学史資料センターさんによる練られた展示と思った。みなさまには是非企画展示全体をご覧いただきたい。

 

入場料:

無料

図録:

なし(図書館サイトに第48回明治大学中央図書館展示会(2013年5月17日(金)~2013年7月15日(月))での展示リスト[PDF]あり)

鑑賞所要時間:

約25分

*1:「関西文脈の会 第7回勉強会(2011年4月16日)報告 『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(5)石山洋「中身の充実に努力:太田為三郎」」http://toshokanshi-w.blogspot.jp/2011/04/blog-post_4078.html

2014博物館に初もうで(東京国立博物館)

1月3日、帰省先を早めに辞して、有楽町駅付近火災による運転停止やダイヤ乱れの影響を避け、上野駅チョコクロ食べて、ことし最初の東京国立博物館詣に行ってきた。

 

東京文化会館の横を過ぎたあたりで、右方向から笛や太鼓の祭り囃子が聴こえてくる。「お、獅子舞か?」と期待しながら門を入ると、14:00から本館玄関前で始まった埼玉県立秩父農工科学高等学校秩父屋台囃子保存部の演奏だった。練習量の多さがうかがえるアンサンブルの正確さ、独奏でも個々の力量の高さがはっきりとわかる音色でびっくり。

曲間の部長さん(?)によるお話によると、もとは同好会からスタート、最近では全国高等学校総合文化祭郷土芸能部門第2位、その後上位校による国立劇場での演奏をみかけた館長が、今回の演奏を発案されたとのこと。彼らにとっても誇らしいかもしれないが、こちらもしても外国からの観光客と思われる人たちに、こうした演奏を見てもらえるのはとても嬉しい。

 

興奮気味に荷物を東洋館のロッカーに入れて本館2階へ。

本館 特別1室・特別2室 特集陳列『博物館に初もうで−午年によせて−』(2014年1月2日〜1月26日)

毛の国(群馬県、栃木県)から出土した鞍や鐙。手のこんだアクセサリーで馬を飾るのは、自動車でアレコレ飾りたくなっちゃうのと似た感覚なのかしら。 

「博物館に初もうで-午年によせて-」見どころ紹介(東京国立博物館 - 1089ブログ)

 

本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸

鹿図屏風 柴田義董筆(六曲一双、江戸時代・19世紀) 秋も深まりゆく頃なのだろう、夏毛ながらも牡鹿の角は木質化している。毛は固いながらも生え変わりの時期の質感さえ描かれている。こりゃーシカを観察した人の表現だ!と大興奮。柴田義董は四条派の絵師。ほんとうはどうなんだろう。

 

本館 3室 宮廷の美術―平安~室町

書跡は新春特別公開「元暦校本万葉集」と万葉集の断簡が中心、絵画は

絵画は特別展「クリーブランド美術館展─名画でたどる日本の美」にも出陳される釈教三十六歌仙絵巻と、「人間国宝展―生み出された美、伝えゆくわざ―」に関連して七十一番職人歌合絵巻(模本)を展示

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 宮廷の美術―平安~室町 作品リスト) 

 

 クリーブランド美術館展は会期に入ったら早いうちに行って、この関連展示と合わせてもう一度見たい。「七十一番職人歌合絵巻模本」 上巻伝狩野晴川院(養信)・狩野勝川院(雅信)模(江戸時代・弘化3年(1846)も。

 

 

 『博物館に初もうで』が始まったのは独法化後のいつからだったか。ここ数年ではこの企画目当ての来館者も多く、すっかり定着したようだ。おかげで松林図屏風の前は人だかりになっていて、あんまりじっくり見られなかった(とはいえ、人気の特別展のそれよりはまし)。

  なお、15〜19室は4月19日までリニューアルに伴う閉室中。廊下のような「歴史資料」の部屋は、人も少なめでじっくり見られて大好きな部屋なのだ。ひきつづき残って欲しい。

 

 

入場料:

一般600円(友の会・パスポート会員は不要)

図録購入:

未購入(『初もうで』展の図録はなし)

おうちにもってかえりたい:

葡萄図 1幅 絹本墨画淡彩 立原杏所筆 (江戸時代・天保6年(1835))本館 8室(書画の展開―安土桃山~江戸)

万葉集(元暦校本) 巻第九、巻第二十 本館3室(宮廷の美術)

グッドニホンジカ

鹿図屏風 [1][2] 柴田義董筆(6曲1双、江戸時代・19世紀) 本館 8室

(書画の展開―安土桃山~江戸)

鑑賞所要時間:

約2時間20分

 

まずは1年

行った展覧会について記録していこうと思います。

最先端の鑑賞記録は世の中に沢山ある素晴らしい美術批評ブログや雑誌/新聞におまかせして、まずは1年、メモ程度のもので書いてみます。年末に自分がどんなところに行ったのか、どういう見方をしているのかを振り返ることができたら目標達成ってことで。

あと、展覧会を楽しく見るために、美術に関する知識も遅まきながら身につけて行きたいと思っています。気になる展覧会をぽつぽつ見る生活が、若い頃は、こんな風に長年つづくとは思っていなかったのです。

 

せっかく長く続いたし、きっとこれからも身体が動く限りは続くので、もっとぎゅっと楽しめるように。そんなはじめの1年。