東京都現代美術館開館20周年記念MOTコレクション特別企画「コンタクツ」(2014年12月23日)

(あとで書き直す予定ですが、フライング気味に公開しておきます)

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 東京都現代美術館開館20周年記念MOTコレクション特別企画「コンタクツ」に行ってきた。今年度、東京都現代美術館のコレクション展(常設)は、同館が開館20周年を迎えたことにちなんで、3期にかけて「特別企画」が組まれている。現在開催中の第2弾は、「コンタクツ」と題し、手法や世代、活動領域の違う作家や作品をあえて組み合わせる「コンタクツ」を見せてくれている。

 なかでも、印象に残ったのは最初の組み合わせ「アンソニー・カロ×安齊重男」だった。アンソニー・カロは、同館の最初の企画展示でとりあげた彫刻作家であり*1*2、また、安斎重男氏は、1970年以降現代美術の作家や作品を撮影しているアートドキュメンタリストである。

 自分が安斎氏の名をきいて真っ先に思い出すのはANZAÏフォトアーカイブである。これは、国立新美術館に所蔵されている3,217点からなる安斎氏が撮影した写真資料群で、1970年から2006年の国内の美術の動向を語る記録となっている。
 このANZAÏフォトアーカイブのリストから、会場・場所 = 東京都現代美術館、で調べてみると、カロ展関連の写真の存在がわかる。

(写真の画像は、著作権および肖像権保護の観点からインターネットでは非公開である)

 今回展示された写真は上記のリストよりさらに数多くあり、さらには展覧会当時のポスターや安斎氏が作成したアルバムまでもが展示されている。

 記録写真は一目でいろいろなことを伝えてくれる。

  • 輸送、設置、組立の様子
  • パーティーの招待客の様子(会場構成を担当した安藤忠雄と談笑する様子も見える)
  • 当時の展示室の様子

などなど。

 ここ数年、美術館の展示で、過去の展示記録にかかわるような資料が作品と併せて見られることが増えてきた。今回のような記録写真などにより、美術館自身が館の活動を振り返ってみせることで、観客にとっても作品との向かい合い方をもうひとつ増やしているように思う。


 さらに、パフォーマンスアーツ(舞踊やインスタレーションなど)では、同時にその場にいることができなかった観客にとって、記録がその作品を知る資料となるわけだが、それだけでなく、他の作家にとって、新たな作品を生み出す材料となっている。

 同時開催の企画展


展覧会|東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO

では、舞踊家の記譜とお弟子さんによる映像記録が展示されていたり、別の作品では舞踊家の動きを電気信号にして別の舞踏家の筋肉に記憶させるものがあったりで、これも記録が生み出す新たな創造だと思う。


 美術に関する記録と保存が、ドキュメンテーションなのかアーカイビングなのかまた別の用語で表されるのかはわからないけれど、今年11月24日国立新美術館で行われた

京都市立芸大芸術資源研究センター「来たるべきアート・アーカイブ 大学と美術館の役割」での話とつながってくる。

 この辺は今年見たほかの展覧会(東近美「コレクションを中心とした小企画: 美術と印刷物 ―1960-70年代を中心に」や横浜トリエンナーレなど)でも気になっており、来年も引き続き追いかけて行くテーマになるのかなあという予感がある。

 

そのほか

 今年収蔵された福田尚代の作品群には心拍数が上がり(職業的に)、関根尚子の静謐な鉛筆画と作品制作時の音には慰めを得た。また、今回、意外にも、東京都現代美術館でも横山大観や小野竹喬、村上華岳の作品を所蔵しているのだと知った。これは東京都美術館から移管されたもので、これが横尾忠則や吉田博と組み合わされた部屋には驚いたけれど納得しながら見られた。学芸員さんの眼力はすごい。
 この展示、あと1回見たいけれど、もう残りの会期は1月4日までとわずかだし、ほかにも見たいものがあるしで、行けるだろうか?
 もちろん、第3弾のコレクション展も楽しみである。

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国文学研究資料館特設コーナー「蔵書印の愉しみ」(2014年7月2日)

第1四半期よさようなら、第2四半期よこんにちは。7月ですね。

7月2日は、ガッツにあふれる東京近郊の図書館関係者は、「第2回LRGフォーラム・菅谷明子×猪谷千香クロストーク」、明治大学和泉図書館での「図書の文化史×西夏文献学講演会」の2大イベントに行ったらしいが、自分にとって、この日こそが「今でしょ」、の立川詣だった。



国文学研究資料館展示室は土日祝日がお休みなので、これまで常設展示「和書のさまざま」も含めてなかなか行くきっかけがつかめなかったが、会期(平成26年6月13日(金)~7月10日(木))のうち、7月2日は休みが取れそう、となり、ついに訪問が叶ったのだった。

 

ガラスケース4つ分の「蔵書印の愉しみ」

国文学研究資料館展示室に入ってすぐ、常設展示「和書のさまざま」に行く手前側の一角が、特設コーナーになっている。

特設コーナー| 国文学研究資料館


上記ページの写真のとおり、ガラスケース4つ分の展示だが、場所柄か、容赦なく濃い展示となっている。つい「あの有名人の蔵書印」で客寄せを狙うなんて甘いことはしない。自分が知っていた名前は谷干城市島春城ぐらいだった…。

そういや、蔵書印/出版広告(@NIJL_collectors)さんがTwitterでこれまで紹介していらした蔵書印もそうだった。今回の展示では資料に捺された状態で眺めることができる。

見所も下記のツイートで紹介されている。

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介①-1] ...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介①-2] ...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介①-3・止]...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介②] ...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介②-2] ...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介②-3余談] ...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介③] ...

Twitter / NIJL_collectors: [「蔵書印の愉しみ」展・見所紹介③-2]...

ほか、「特設コーナー| 国文学研究資料館」でも概説されている。


面白かったのは、
・昭和50年に東京大学から管理換された資料群には、大正12年の関東大震災で全焼した東京帝国大学附属図書館復興のため、各界の識者・篤志家から寄せられた蔵書が多数含まれている
・印文の文字数は4文字が多い(これは個人蔵のものが多いから?)
・人気の四字熟語は「吾唯知足」
・所有者の名前や好きな言葉ではなく、本にまつわる体験を印文にしたものがある
「明治三十年八月由熊本帰誤落行李於海此本為所浸湿者」
(海に行李ごと落として濡れてしまった>見返しに黒カビがでていた…)
「昭和二十年四月十三日夜壕中二於テ戦災ヲ免レタル図書 茂」
とか。


蔵書印とは

ここから後は備忘のためのメモ。

蔵書印は、書物の所蔵を明らかにするために蔵書に捺した印影のことである*1

蔵書印がなぜ大事かというと、

蔵書印が捺されている書物の来歴を知ることができると同時に、その書籍の価値をおおよそ判断することもできます。また、蔵書印を手掛かりに当該の書籍に関係した人物や機関の蔵書の概要を知ることも可能

(国立国会図書館 蔵書印の世界. はじめに http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/zousyoin.html)

だから。

図書館の目録では、印記は注記に入れられているが*2、どんな人たちがそこに注目するのか、というと、日本文学研究、なかでも書誌学・文献学と呼ばれる研究領域の人たちである。この人たちにとって、蔵書印は重要な考証材料となる*3。そう、蔵書印も研究資源なのだ。
そこで、国文学研究資料館では、目録作成における印記の採録だけでなく、印文情報と印影などをも蓄積した「NIJL 蔵書印データベース」を構築している。


※2012年3月末、国文学研究資料館webサイト「電子資料館」より一般公開を開始した蔵書印データベースは、その1年後となる2013年4月、nihuINT(人間文化研究機構 研究資源共通化統合検索システム)に新規参加しており*4国立国会図書館サーチ(NDL Search)からも横断検索対象となっている*5

 

”書脈”を浮かび上がらせる

このDBで重要だと思うのは、「国文研ニューズ」(No.31, 2013.5)に挙げられていた下記の点である。

もとより、印影を蓄積することの目的の1つは、散逸したコレクションをバーチャルに再編し、印主の学問的背景や知的興味等を浮かび上がらせること、そして、典籍の流通・来歴・出所・伝来を明らかにするツールとしての活用にある。共時的通時的に書物をつなぐ役割として蔵書印を眺めるとき、書物を介した情報網(ネットワーク)、書物を結節点(ノード)とする知的連鎖が浮かび上がってこよう。それを仮に”書脈”と呼ぶならば、書脈を可視化する蔵書印の可能性は無限に拡がっている

(青田寿美.「蔵書印データベース」にできること―つながるデータ、可視化する書脈. 国文研ニューズNo.31, 2013.5 より抜粋。太字はstkysmによる)

 

資料は流転する。


今年は、台東区立中央図書館での浅草文庫の展示(講演会「東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫」於:台東区立中央図書館 (2014年1月25日) - stkysm's blog)に関連して、東京国立博物館で所蔵する「帝室本」の蔵書印の図(佐々木利和「博物館書目誌稿ー帝室本之部 博物書篇」)や、国立公文書館にある内閣文庫本に捺された蔵書印などを見る機会が続いていて、機関単位でのコレクションの分割と流れについて考えることが多い。
いままでも何気なく見ていたのだろうけれど、今年に入って意識的に見るようになったのは、個々の資料の内容だけでない、所有者の歴史を資料のかたまりで見る、ということの面白さがわかってきたからではないかと思う。

この流れを「書脈」と名付けるのはなるほど、しっくりくるなあと思った。

 


※さいごになりましたが、蔵書印/出版広告(@NIJL_collectors)さん、パン屋さんのマドレーヌ5個入1袋きりの手土産では到底追いつかないご歓待、ありがとうございました。展示室の向こうから後光を背負って横断幕(A3)を持った見知らぬ人にロックオンされた時の「狩られる…!」感は瞬時にMAXに到達でした(<おい)

 

入場料:無料

出品目録:あり(PDF)

http://www.nijl.ac.jp/pages/event/exhibition/images/140625mokuroku.pdf

鑑賞所要時間:30分 (常設展示は約40分)

 

 

*1:国立国会図書館 蔵書印の世界. はじめに http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/zousyoin.html

*2:例(正岡子規の自筆本): 銀世界 第1-5 - 国立国会図書館サーチ http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001275707-00

*3:青田寿美.   蔵書印データベース.  研究資源共有化システムニューズレター no.7, 2013.11 http://www.nihu.jp/sougou/kyoyuka/pdf/newsletter/07.pdf

*4:同上

*5:国立国会図書館サーチについてhttp://iss.ndl.go.jp/information/outline/

弥生美術館「開館30周年 さし絵のお宝大公開!」展(2014年6月30日)

弥生美術館は1984年(昭和59)6月1日に開館したそうです。そして、今年は開館30周年!おめでとうございます。

なのに行けたのは最終日というていたらく…。そしてメモをとるだけの力がなかった。

新聞小説が新聞の売上に影響し、さらに新聞小説の人気を挿絵が左右する、というのは知らなかった。ちゃんとメモとってくるんだったよ…挿絵画家の系統図(?)も図録があったら掲載されていただろうけど、なかった。たぶん権利関係の処理が大変だろう。

 

あとで今回の展示に関する新聞記事等が押さえられたら追記しようと思う。

 

 

この日は、帰りにササッとあんみつ食べて、ササッと電車に乗ったら、乗車中に突然きた豪雨の影響で、高架で20分は止まっていたらしい。ぐーすか眠ってしまったので、あまり時間の経過を感じていなかった。乗車した駅近辺は水没した、という写真付ツイートも見かけたし、それを思うと、なんとか家に帰れる距離の駅まで進んでくれてから運休決定となったのは運がよかった。

 

料金:一般900円(竹久夢二美術館も観覧可)

図録:なし

展示資料一覧:なし(これがちょっと辛かった)

 

内閣文庫の蔵書印あれこれ「江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」@国立公文書館(2014年3月3日)

国立公文書館で蔵書印まつりだよ!」
ときいたので、のこのこ出かけてきました。


本来の企画意図とは違うわけですが、蔵書印で浅草文庫の前後の流れが辿れるステキな展示会ともなっていました。

公式サイト:展示会情報:国立公文書館「平成25年度 連続企画展 第6回 江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」http://www.archives.go.jp/exhibition/
(リンク先は会期終了後、変更予定です)

 

蔵書印あれこれ

林羅山の蔵書印のうち、最も多く見られるのが「江雲渭樹」(こううんいじゅ)で、これを含めた林家三氏の蔵書印は静岡県立中央図書館の「葵文庫の概要/5和漢書の部/(1) 林家の旧蔵書」でも見られます。

 

えー、ここで、林羅山(1583-1657)とはどんな人物かをおさらいしましょう。

・江戸時代前期の儒学者で、慶長10年将軍徳川家康につかえ、以後4代の将軍の侍講をつとめる。
・法令の制定、外交文書の起草、典礼の調査・整備などにもかかわる。
展示会では、たいへんな読書家かつ蔵書家であったことが説明されています。

ではなぜ林羅山の愛読した漢籍がなぜいま内閣文庫にあるかというと、
林家の蔵書が昌平黌(昌平坂学問所)にひきつがれた→昌平黌(昌平坂学問所)の蔵書が、大学に引き継がれ、書籍館に集められ、浅草文庫にうつり、……太政官文庫から内閣文庫に…あれ? 浅草文庫から太政官文庫に至るあたりとかわからない。。家の中で行方不明の『幕府のふみくら』にのってるだろうか。確認できたら追記しようと思います。ごめんなさい。

 

林羅山の愛読した漢籍

この企画展の企画意図は、公式サイトによると、

圧倒的な読書量によって形成された「知識」を用いて江戸幕府を支えた林羅山、その「知」の淵源を羅山の書き込みのある漢籍をもとにご紹介します。

とあります。


では、漢籍、ってなんじゃらほい、と図書館学の用語集を見たら、ざっくりした説明でびっくり。

「中国人が漢文で書いた書物」

今まど子 編著.  図書館学基礎資料.  第11版. 樹村房, 2013.3. 138p)

としか書いていません。それってイギリス人が英語で書いた書物、とかフランス人がフランス語で書いた書物、ぐらいの説明にしかなってないんじゃ(…おや、誰か来たようだ)
…ですが、岩波書店の『日本古典籍書誌学事典』でも一行目は「漢籍は、中国人が漢字だけで書いた書物のことである。」でした。後段では「外形から見た漢籍は、原則として宋以後の製版による木版本」、ともありますが、第一義的には 「中国人が漢文で書いた書物」ということでよさそうです。

 
刊行された年代によって宋版、明版、などと分けて呼ばれることがあります。それぞれ形態的な特徴が見られます。

また、「駿河版」とは、 「徳川家康駿府(静岡)に退隠後の元和初年(17世紀初め)に、僧 崇伝、林羅山に命じて銅活字で刊行したもの。『大蔵一覧集』『群書治要』の二書がある」(今まど子 編著.  図書館学基礎資料.  第11版. 樹村房, 2013.3. 138p)

古活字版も展示されていました。


以上の記述内容は、ほぼキャプションでは説明されていません(だって本筋じゃないし)。林羅山による書き込みや業績など、本筋は会場でごらんください…といいたいところですが…3月15日(土)までの開催です。

図録:なし

展示資料一覧:あり
所要時間:55分(昼休みの時間帯のせいか、どんどん抜かれました)

 

 

「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」練馬区立美術館(2014年3月9日)

 今朝の日曜美術館アートシーンでとりあげていたので、混むかなー、と心配しつつ、西武線中村橋駅から、練馬区立美術館へと行ってきた*1。親子連れから若いカップル、ご年輩まで、幅広い年代が集まる館内は、ほどよい混み具合で、楽しく見ることができた。

 

公式サイト: 野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―:練馬区公式ホームページ

 

 「武者分類図鑑」と書いて「むしゃぶるいずかん」と読む。今回の図録をかねた作品集『侍達ノ居ル処。』(以下「図録」)によると、この展示会タイトルは、月岡芳年の「芳年武者无類(よしとしむしゃぶるい)」にひっかけてつけられたそうだ。

 

 野口哲哉氏は1980年生まれと若いながらも、その作品には既に多くのコレクターがついている。広島市立大学芸術学部油絵科、同大学院を修了し、23歳ごろ「油彩画の写実的手法が模型制作のノウハウを巻き込み立体表現へと移行。段階を経て鎧兜を纏った人間の姿が立ち現われ」(図録)現在に至る。

 実際の甲冑と同じ製作と同じ手順で精巧なミニ甲冑を作り、これまた自作の人形(樹脂製)に着せる。絵画も当然のように巧みで、甲冑を纏った人形と作家自身による解説文で重層的に偽史が語られていく。

 

会場の様子

会場風景の一部はyoutubeで見られる。


練馬区立美術館 野口哲哉展 ― 野口哲哉の武者分類図鑑 ― - YouTube

 ポスターやチラシの写真からは大きな像を思い浮かべるが、実際には10数センチから50センチ程度の高さの像がほとんどで、思っていたよりぐっと小さい。だが、甲冑を着た人間のプロポーションや姿勢は現代人のそれのように思われ、表情も大学構内、駅のホームや公園のベンチで見かけるような顔つきばかり。見ていると「いたね、こういう人」という気持ちになってしまう。

また、画賛、ミニチュアサイズの兜に付随する箱に貼られた題箋やラベル、ときには過剰なくらいのキャプションでさまざまな偽の歴史が裏付けられるように演出される。

 

偽史と現実の区別が混乱してくる

そして、今回の展覧会では、作家が制作するのに参考にした、実物の鎧兜(「鉄五枚桶側胴具足」や「金小札色々威二枚胴具足烏帽子形兜付」など)や甲冑を描いた絵画(「十二類合戦絵巻」(東京国立博物館蔵模本のこのあたり)や「日御崎神社蔵什物図」(狩野晴川院養信・狩野伊川院栄信が「白糸威大鎧」を模写した部分。東京国立博物館蔵))などの古美術品も展示された。流れに沿って並べられると、もしやこの奇抜な 兜や保存状態のよい巻子も野口作品か?と混乱してきた。

 古美術、参考資料(部品ほか制作過程、スケッチ類、作家秘蔵のプラモデル、パンフレットなど)も含めると100点超の展覧会であった。プラモデルのザク(あれ、ズゴックだったかな)を見て、あ、今日はザクの日(3月9日)だったな、と思い出したりした。

 

 古美術は巡回先のアサヒビール大山崎山荘美術館では展示しないそうなので、行ける人は練馬へ行かれるとよいと思う。特に、自分で甲冑つくって自分で着て写真におさまっちゃう小堀鞆音(こぼりともと、1864-1931)の絵画と鎧は必見。

 

あふれる知識とたしかな技術で、奇想天外な設定を作品にする

 現代美術とはいえ美術史を知らないでアイデアだけで制作する作家はありえん、うすっぺらくて、ということを以前どこかできいたのだが、だとすると、この作家の場合はどうだろう。甲冑の知識と古美術の表現をよく知った上で、再現できる技術を持っている。ファンタジー作家なら表に出ない部分にも作り込まれた設定をもって奇想天外なストーリーを書いているようなものだ。こんだけ洒脱に、しかも数を繰り出せるなら、これからも売れ続けていくんだろうなあ。

 

 日本中世史の人にも感想をきいてみたい、そんな展覧会だった。

 

参考:

野口哲哉 - Gallery Gyokuei

野口哲哉 : ギャラリー玉英ブログ 銀座・東京

【月曜日連載】ARTYOURS 新アート論 わびさび×拡張=野口哲哉さん「境目をとりはずす」第一回 | ARTYOURS

 

入場料:一般 500円(たいへんお買い得だと思います)

鑑賞所要時間:2時間

図録:購入 2,500円+税(野口哲哉ノ作品集 「侍達ノ居ル処。」 | 青幻舎 SEIGENSHA Art Publishing, Inc.

おうちに持って帰りたい:「侍がサントリーへ行く」(ただしすでに個人蔵……)

買えなくて残念:「極上鉛人型合金 ロケットマン」「極上鉛人型合金 ホバリングマン」作家による手彩色製品は二種類とも売り切れ。

その根性はなくてもいいです……。買えた方は自慢して下さい。

*1:チラシ・チケットはおろか美術館ニュースの交通案内に「都心からも意外に近い!」と書かれていた。板橋区立美術館の「不便でゴメン」と差別化をはかっているのに違いない。

開館20周年記念特別展「大浮世絵展」江戸東京博物館(2014年2月8日)

大雪

おーおーーーーーーゆきーーーー(レミオロメンのあの節でどうぞ)。

20年に一度の大雪、と言われてでかけたら、40年に一度の大雪だった。

 

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大浮世絵展 | 【東京】2014年1月2日~3月2日:江戸東京博物館 | 【名古屋】2014年3月11日~5月6日:名古屋市博物館 | 【山口】2014年5月16日~7月13日:山口県立美術館」(公式サイト)

この特別展はとにかく混んでいるよ、との噂をきいており、また、マスコットキャラクターのギボちゃん(@edohakugibochan)も、混雑状況を週末ごとにツイートしているものだから、行くタイミングをはかっていた。そこに、この日の雪。早い時間帯ならチャンス!と思ってでかけてきた。

さすがにこの日はそれほどの混雑でもなく、立ち止まって作品を見る余裕があった。が、展示室の入り口、出品リストを置いた台の上部の壁に、注意書きが貼られていた。

入場者数、とくに有料入場者数は大事だろう。でも、なあ(もやもや)。東京はこういう展覧会が多いと思う。主催は江戸博、国際浮世絵学会、読売新聞社。後援はTBSラジオ

展示構成

1月2日から3月2日の会期は8期に分けられており、浮世絵という資料の性質上や所有者の意向により、展示期間が限られる作品が多い。行った日によってまったく違う展覧会にみえる(た)のではないだろうか。この日は5期目で、2分割でいうと後半に入ったところで、4分割だと3期目にあたっていた。

展示は6章構成。

第1章 浮世絵前夜

第2章 浮世絵のあけぼの

浮世絵が誕生する寛文年間から錦絵が誕生する明和2年ごろまでの約100年間の作品群。

第3章 錦絵の誕生

鈴木春信、勝川春章、磯田湖龍斎らの描く美人さん大集合。木版多色摺技法の飛躍的進歩。

第4章 浮世絵の黄金期

鳥居清長が描く美女と江戸名所、喜多川歌麿による表情やしぐさの描き分けと『画本虫撰(えほんむしえらみ)』、写楽の役者絵、歌川豊国や国政。

第5章 さらなる展開

葛飾北斎の富士、歌川広重の風景、歌川国芳が猫大好きすぎ。富山版画、長崎版画、上方版画も。北斎の肉筆『弘法大師修法図』(こうぼうだいししゅほうず)にはたまげた。

第6章 新たなるステージへ

幕末以降、報道的な主題がでてくる。東京日日新聞に落合芳幾が描く事件の数々、月岡芳年の赤が目をひく。伊東深水の美人さん達の清さと妖艶さ。山村耕花『梨園の華13代目守田勘弥ジャン・バルジャン』はどうみてもデビッド・ボウイ(きっと一定の共感をえられると思う)。さいご、川瀬巴水『上州法師温泉』で「おー、早く帰って風呂でも入れ、極楽極楽」な本人像に背中をおされて展示室を出た。

 

感想

橋本麻里さんの予言、

春から景気のいい話だが、こうした「全部入り」の展覧会は、観る側が焦点を失ってしまうと、「なんだかいろいろたくさん観た……ような気がする(呆然)」「写楽とか歌麿とか北斎とかあった……ような気がする(朦朧)」で終わってしまう恐れもある。 (「写楽、歌麿、北斎……全部入り! 浮世絵の傑作が大集合|橋本麻里の「この美術展を見逃すな!」|CREA WEB(クレア ウェブ)」より)

や、まったく仰る通りだった。だから、数多くの作品群を技法、描かれた風俗などの変化というストーリーを自分の中でつくる必要があり、それを狙った展示構成なんだなとも思った。これだけ豊富な点数で説明できる展覧会なんてそうそうできることではない。

 

「国際浮世絵学会創立50周年記念 江戸東京博物館開館20周年記念特別展」の冠がつくだけあって、海外のミュージアム(大英博物館、ギメ東洋美術館、ベルリン国立アジア美術館、ホノルル美術館、シカゴ美術館)から貸し出された里帰り作品が大変多く、この準備にはさぞや時間がかかったことだろうと思ったら、実は本展は2012年に開催すべく企画されていた。2011年3月に発生した東日本大震災福島第一原子力発電所の事故により、延期されたのだという。あのころは海外から美術品を借りる展覧会の中止が相次いだ。本展もそうだったのか。国内の貸出館も大変多く、学会総掛かりの展覧会なんだとすると、国内で巡回を、という気持ちにもなるが、資料の性質上、なかなか難しいのもわかる。次は名古屋市美、山口県美。

 

特別展のあとは、この2月8日から始まった「2011.3.11平成の大津波被害と博物館-被災資料の再生をめざして-」(3月23日まで)を見て、電車が動いているうちに急げとばかりに帰ってきた。転ばなかった。

 

入場料:1,520円(特別展・常設展共通券)

鑑賞所要時間:2時間15分

図録:購入(税込2,500円)

仰天:『絵本舞台扇』(勝川春章、一筆斎文調)大英博物館蔵 ← 洋装されていた!

(参考:国立国会図書館デジタルコレクション - 絵本舞台扇

大雪記念:『雪中相合傘』(鈴木春信)大英博物館蔵 きめ出しで柔らかく積もる雪、空摺で浮かぶ着物の模様を間近に見られて幸せ。

 

講演会「東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫」於:台東区立中央図書館 (2014年1月25日)

 

1月25日、標記講演会に行ってまいりました。ほぼ1ヶ月前のメモで恐縮ですが、まだ企画展「かつて浅草にあったコレクションたち。浅草文庫と台東図書館」会期(2012年12月25日から2014年3月25日まで)のうち、ということでお許しを。

※企画展のメモ:企画展「かつて浅草にあったコレクションたち 浅草文庫と台東図書館」台東区立中央図書館

 

※本文は聞き取れた・読めた・書き取れた範囲での理解をもとに書いております。講演会後にわかったこと(スライドで使われた図版等の掲載資料、サイトなど)は脚注にて補記しました。誤字脱字、事実誤認等ありましたら、コメントいただければ幸いです。

 

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2014年1月25日(土)14:00~15:30
東京国立博物館の蔵書の流れと浅草文庫
北海道大学教授 佐々木利和先生
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講師紹介

法政大学大学院⇒東京国立博物館文化庁文化財部美術学芸課主任文化財調査官⇒民博教授⇒北大・東博名誉館員*1

 

講師自己紹介

東京国立博物館(以下「東博」)で、主流(浮世絵、絵画、工芸…)でない資料を長く扱ってきた。
・草創期の東博は、ヨーロッパに追い付け追い越せ。とにかく北から南までいろいろ集めており、自分たちの国に住んでいる異文化(アイヌ琉球)のものも集めた。それらは蔵の肥やしになっていた。
・そういった誰も扱わない資料は、若い自分に扱いやすかった。20代で東博に入ったとき、裏道を通ったらそこが花道だったというような体験をした。ものすごい資料群。
・もうひとつは図書室。当時、図書室書庫(洋装本や和本)は職員なら自由に入って見ることができた。他の資料の収蔵庫は上司に許可を得てカギを借りる必要があった。
・組織が変わって今は東博「資料館」かな?*2 西門から入る方が近い。国際子ども図書館と一緒に利用するといいかも。

官立浅草文庫について

帝室本蔵書印の流れ*3などをもとにした説明。

東博にある帝室本蔵書印の変遷を並べたもの、多少変更しなければならないが。
・一番右側に並んでいるのが江戸幕府の蔵書印。明治維新後、接収。昌平黌、昌平坂学問所の資料が大学校へ、蕃書調所が開成校、医学図書が大学東校典籍局へ。
・教育行政を文部省に。文部省の時に書籍館ができる。博物局の中に書籍館
・明治6年、ウィーン万博の時にいろんなものを集めるためにできたのが博物局。博物館と書籍館があった。
薩摩藩町田久成(訪英団団長)がロンドンで視察した大英博物館に刺激を受け、大博物館構想をたてた。博物局の中に博物院、書籍館

・官立浅草文庫とは、明治7年7月から14年4月まで、浅草区御蔵前片町に存在していた図書館。

・前身は湯島にあった書籍館。地方官会議所になるため出ていけといわれ、湯島聖堂から浅草米蔵跡へ移転、「浅草文庫」となる。博物館は、農商務省内務省宮内省へ。

・『日本百科大辞典』の「浅草文庫」の項「四 東京浅草に在りし官立図書館」の記述。
「浅草旧米庫八番堀(現今浅草区御蔵前片町高等工業学校内)に(中略)書籍収蔵所に宛て」。片町高等工業学校というのは、今の東工大湯島聖堂が地方官会議に使われることになっため、浅草に移した。和漢書1万7千余部。「部」というのは10冊でも(同じ題名なら)一部。

・浅草にあった幕府の米蔵を使って作った図書館。明治14年5月に縦覧を停止する。7年間この地にあった。のち博物館書籍室。資料は東博独法になってからは列品になって、見られない資料も増えたようだ。

(ここで余談)
・私たちの仕事は、その資料はどこにあって誰が持っていたものなのか、と大事にする。森銑三先生に本をご覧に入れたんです。そのとき、先生は本をおしいただいて、君に会えてよかったよ、というように表紙をなでて、そしておもむろに親指の腹で本を開く。ああいうお仕事をする人は資料に対する態度が全然違うんだと学びました。

 

博物館の組織

・文部省博物館、博覧会事務局、内務省農商務省宮内省
天皇の財産の問題。御料、王室の動産もあり、ということで、博物館の資料が天皇の財産になった。戦後、国立博物館になり、2003年独法になった(訂正あり)*4
独法になった国立博物館の来館者数、東博一人勝ちといわれる。

浅草文庫誌』(日本古書通信社)1974 (古通豆本)について

・この本を書いた樋口秀雄先生は博物館の図書室に長く勤めていた方で、蔵書については神様のような人。この豆本東博にもないかもしれない。
・なかなか古書市にも出ない。1冊こちら(台東区立中央図書館)に置いていきます。

湯島の書籍館(図面) *5 を見ながら

・湯島の大成殿を使用。建物はほとんどそのまま。

 

告示、規則など

書籍館開設広告と借覧規則*6*7

書籍館は幕府の持っていたものに足りないものを集めて文部省博物局が開設した。
・借覧規則、これが今とはだいぶ違う。貸出をしていなかった。
・また、使用料金が必要だった。今の図書館はアメリカ式で無料だが、料金をとってもよいのでは?インターネットは学問、文化の発展になるのか。資料はその場に行って調べなさい、と言いたい。


(ここで余談 借覧規則に飲食の禁止があるのを受けて)

森銑三先生は絶対食べ物飲み物を資料のあるところに置かない。
・手袋、絶対だめですからね。こないだ国立の某機関の人が三脚で撮影するときに手袋を。でもめくれるわけがない。
・あるアメリカの美術館の調査で巻物を見るとき、キーパーと称する人が手袋を持ってきて、これをはめろという。だけど、自分は日本人で日本の資料を扱ってきた。手をきちんと洗って扱えば大丈夫、と主張した。結局キーパーに手袋をはめさせて「めくれますか」と確認したが、めくれない。素手で扱わせてもらった。
・TVで手袋はめて紙のものを扱っている人はうさんくさい奴だと思ってくれて大丈夫。

太政官宛博覧会事務局上申」明治7年7月29日*8

昌平坂書籍館ノ儀、浅草米倉八番堀構内江移転相成候ニ付テハ、(中略)同所之儀向後浅草文庫ト相唱申度、右一件之規則等ハ取調之上、追テ可申上候得共、此段相伺候也

 

「博覧会事務局告知」明治7年8月*9

 今般湯島書籍館ノ図書ヲ浅草須賀橋畔ノ元米倉庫地内ニ転遷シ、更ニ浅草文庫ヲ創立ス。他日開場ノ後、衆庶ノ借覧ヲ允スニ当テハ其規則等ハ追テ之ヲ告示スベシ

書籍館はここに浅草文庫と改称した。

浅草文庫仮事務章程」

星野寿平が浅草文庫を掌握。冒頭に

一 浅草文庫中経費其外一切ノ出納事務星野寿平ヘ申談取扱可申事

としている。

浅草文庫借覧人心得規則*10

書籍館からひきつづき、浅草文庫も有料だった。

一 来観スル者ハ一日金一銭ヲ借覧料トシテ収ムヘシ

一 三ヶ月以上借覧スル者ハ一日七厘六ヶ月以上借覧スル者ハ一日五厘ノ割合ヲ以テ借覧料目的期日マテノ金額ヲ収ムヘシ其節借覧料請取ノ証書ヲ渡スヘシ

館外への貸出もなかった。

一 書籍ハ凡テ門外ヘ出ス事ヲ禁ス若シ官省ノ用ニ供セン為メ門外ニ出ス事ヲ要スル時ハ更ニ副本ヲ作リテ其需ニ応スヘシ

 

施設など

浅草文庫の借覧所および事務所(写真)*11

・浅草に移った当初は、閲覧場所がなく、後から作ったので、開館が遅れた(明治8年5月から業務を開始)。
・写真にいる2人のうち左側が星野寿平(キーパーソン)かと思われるが、この人の写真は残っていない。

浅草文庫借覧所・事務所(図面)*12

・1階と2階の図面。書籍風入(かぜいれ)場が2階にあり。虫の害を防ぐ。
・1階に事務室、食堂。

 

三条実美の書と印・鬼瓦

三条実美の書。東博120年展の時に出ている。蔵書印にもかなりきちんとうつしているでしょう?

浅草文庫目録(写真)

・書画目録。医書目録(博物局図書課編)もあり。東博に残っている。イロハで分類。

 

旧献納本と新献納本

書籍館は旧幕引継書を蔵書の基礎としたが、その他にも献納という形で蔵書を増やした。
旧献納本湯島聖堂への献納。岩崎源蔵灌園らによる。善本多い。
新献納本明治維新後。堀忠明、町田久成、田中芳男らによる。塙忠韶の和学講談所本も。
古写本 塵袋(ちりぶくろ) 一部十一冊*13
町田久成による新献納本。町田は薩摩の家老の家系。大久保が暗殺されなければ、もしかしたら大博物館構想が実現していたかもしれない。

書籍館浅草文庫の蔵書数内訳、官職*14

・明治8年9月4日付職員一覧のうち、第六局長に内務省出仕町田久成。以下考證科書籍掛としておかれた「浅草文庫詰」の官員は星野など5名。ほかに御雇、門衛等十人。
星野寿平 旧幕時代から昌平黌に勤め、書籍館の創設に参与、やがて博物館書籍室の閉鎖に立ち会う。
村山徳淳 東博に残っている資料の目録(『博物館書目解題略』13冊 *15)はこの人による。
・御雇の中には写字生(筆生)がいたが、常々人が足りないとも。

星野寿平勲墓碑銘(島田篁村『篁村遺稿巻下』大正7年より)

島田は昌平黌のことを書いてみたいと星野に訊いていたが、いろいろ出来なかった、と言っている。書こうと思ったら星野はいない……。

ラベル、蔵書印について

スライドを交えていろいろ説明あり。

御蔵前邊図(表紙写真)
このラベルが極めて重要。
(とのことだったが、2枚貼付されたラベルのうち東博しかわからなかった……帝室博物館?)

『御蔵前邊図』
左下刊記欄外に「浅草文庫」印。

外袋(『御蔵前邊図』(か?何のかは聞き取れず))
帝室博物館ラベル、帝国博物館ラベル、帝国博物館蔵書印。

『御蔵前邊図』(か?)
町田久成献納書」印によって新献納本だとわかる。

『塵袋』第一(表紙裏及び標題紙?)
最初に押された印はどれか。印は最初に右上に捺す場合と右下に捺す場合とがあるが、この写真の場合、右上「石谷蔵書」印(せっこく、町田久成の号)、右下「町田久成献納之章」印、そのすぐ左隣に「浅草文庫」印、中央上部「書籍館」印の順に捺されている。

 

博物誌的な資料

主催者からは博物誌的な資料も紹介するように、と言われているのだけれど。

伊能忠敬蝦夷地図』大図・シリウチからヤマコシナイ(写真)

左下に「浅草文庫」印。

「伊能「小図」の副本あった 東京国立博物館に収蔵」(北海道新聞2002年8月9日記事)

東博にあるとわかっていたが、どこにあるのかわからなかった。九博準備室の若いものが東博収蔵庫を探していて見つけた。
・大友正道氏HP2007-8-20 http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/simenawa/shouzu_hakken.html
↑新聞記事そのまま載せてます。

伊能忠敬『日本沿海與地図』小図(写真)

個人の献納、昌平坂学問所の朱印。

浅草文庫献納書目

大図、小図ともに高橋景保の献納であることがわかる。
(左頁のは)内閣文庫へ。

デジタル葵文庫より AJ16 蝦夷地全図(安政2年)の表紙

昌平坂」黒印は、公に入ってきたことを示す。蔵書印の色も気をつけるべき問題。

伊能図の種類

伊能忠敬研究会渡辺一郎さんの論文から引用。大図、中図、小図(こず)の大きさがわかる

伊能忠敬『九州沿海図』小図

右下に「浅草文庫」印。

伊能忠敬『九州沿海図』大図

関門海峡。右下に「浅草文庫」印。

浅草文庫献納書の返却本「からいとさうし」(国立公文書館蔵)

浅草文庫」「日本政府図書」「内閣文庫」の順に捺されている。

 

書籍館浅草文庫から政府への返却本「五山群緇考」林羅山著(国立公文書館蔵)

・「和学講談所」印(塙氏の献納であることを示す)、「浅草文庫」印、「書籍館」印、「日本政府図書」印の順。
・それぞれ政府の意向で東博から「返納」した資料。宮内庁に行った本も。

 

東京国立博物館蔵書目録(和書1)*16

浅草文庫由来の所蔵資料「帝室本」の目録。
・帝室本の目録がなかなか作れなかった。ちなみに、和書2は、徳川宗敬からの寄贈本。
・この目録はここがすごい!その資料に捺された蔵書印がすべて記載されているんです。あ、これ順番違ってる……けど印は合ってます。

江戸幕府旧蔵資料の総合的研究』

文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書*17。図書館では買えない。多分東博の資料館では見られる。
・印記の記述が充実。
・博物図譜に関する動植物の一覧(東博HPにあり)*18

 

博物書に関して

・田中芳男(町田久成のあとに東博の事実上の館長になった人物。洋書調所に呼ばれ、幕府から明治政府で登用された)
町田久成は赭鞭会(しゃべんかい)の資料とか本草図譜をまとめた。馬場大助の群英類聚図譜(東博にしかない)。合紙を入れてあるのが珍しい。
・馬場大助は美濃の旗本。9千石。陣屋の跡が残っている。菩提寺には、博物資料あり。 馬場様の家来が、売りに歩いていたとの証言。岐阜県立博物館で展示。*19

 

さいごに

・たった7年しか浅草になかったが、大変な活動をしていたと思う。もう少し緻密に調べていっていただきたい。北海道では、浅草文庫の研究はできない。
・かつての所蔵資料は東博(列品になったので昔のようには請求できませんが)、宮内庁や、国立公文書館などに関係資料がありますし、ぜひ皆さん調査していただきたい。

・これで終わりですが、ぜひ東博をおたずね下さい。

 

 

感想など

・町田が献納した『塵袋』や、『浅草文庫医書目録稿』は、一昨年の「東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 東京国立博物館140周年特集陳列 資料館における情報の歴史」(2013年1月8日(火)~2013年3月3日(日))http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1589 に出展されていた。今回のお話を聞いた後だったらもっと目を皿のようにして見たに違いない(後悔)。図書室のDBでも所蔵が確認できるとよいのだが、列品になってそれが難しい?

・さいごに佐々木先生がおっしゃっていた「北海道では浅草文庫の研究はできない」というおことばがずっしりきた。質疑の時間に今後調べるべき課題など伺えば良かったなあ、とこれまたいまだに後悔している。

 

展示会はまだ開催中

企画展「かつて浅草にあったコレクションたち。浅草文庫と台東図書館」台東区立中央図書館で、2013年12月25日から2014年3月25日まで)はまだ開催中。ぜひご覧になることをおすすめします。 そしてお帰りには、合羽橋通りをお散歩して、

もぜひ。

*1:参考:佐々木利和 | 国立民族学博物館

*2:東京国立博物館 - 調査・研究 資料館利用案内

*3:佐々木利和.「博物館書目誌稿-帝室本之部博物書篇」東京国立博物館紀要 (通号 21) 1985. p135~252 に掲載

*4:2001年(平成13)4月に独立行政法人国立博物館東博、京博、奈良博の3館を統合)、2007年(平成19)4月独立行政法人国立文化財機構(九博を加えた独立行政法人国立博物館に、独立行政法人文化財研究所(東文研、奈文研)が統合)

*5:同上

*6:同上. p141に「書籍館開館告示」「書籍館書冊借覧規則」挿図あり。

*7:東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 3.書籍館浅草文庫 博物館蔵書の基礎」http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=146 にそれぞれ画像あり。

*8:東京国立博物館百年史』東京国立博物館, 1973. p102

*9:同上

*10:同上, p142

*11:同上, p142

*12:樋口 秀雄. 浅草文庫の創立と景況. 参考書誌研究 / 国立国会図書館主題情報部 編.. (通号 4) 1972.03. http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0CCsQFjAA&url=http%3A%2F%2Fdl.ndl.go.jp%2Finfo%3Andljp%2Fpid%2F3050876&ei=9EgJU5e2K4LOkwWur4CgAg&usg=AFQjCNFDoTRYJihmYHg6hIGZrd4Mrja77g&sig2=4ZKb8w5Q0kLyuOcGOIXk4g&bvm=bv.61725948,d.dGI&cad=rjaに原図と思われる挿図あり。スライドでは活字になっているので、別の資料に掲載されているものと思われる。

*13:東京国立博物館 - 1089ブログ「博物館は寄贈品でできている─その1」http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2012/09/10/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%AF%E5%AF%84%E8%B4%88%E5%93%81%E3%81%A7%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B1/ に写真あり

*14:佐々木利和.「博物館書目誌稿-帝室本之部博物書篇」東京国立博物館紀要 (通号 21) 1985. p135~252. 蔵書数はp158、明治8年9月4日付の考證科書籍掛としておかれた「浅草文庫詰」の官員はp159

*15:「日本の博物学シリーズ 森鴎外と帝室博物館」2005年3月29日(火) ~ 2005年5月8日(日) http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=344 などに出展

*16:東京国立博物館 編. 東京国立博物館蔵書目録.和書1. 東京国立博物館, 1998.3. 511p ;

*17:高橋裕次, 東京国立博物館 [著]. 江戸幕府旧蔵資料の総合的研究. [高橋裕次], 2005-2007, 2008.3. 514p.

*18:東京国立博物館所蔵博物図譜WEBデータベース」http://dbs.tnm.jp/infolib/meta/CsvDefault.exe?DEF_XSL=default&GRP_ID=G0000002&DB_ID=G0000002070723ZF&IS_TYPE=csv&IS_STYLE=defaultの ことか? あるいは、「歴史を伝えるシリーズ 博物図譜―日本的研究の展開―本館 16室 2008年4月1日(火) ~ 2008年5月25日(日)」http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=512で言及されている、東博表慶館「みどりのライオン」体験の間で体験できたという、博物図譜の動物・植物検索コーナーのことか。

*19:佐々木先生は岐阜県立博の図録に『馬場大助そして赭鞭会のこと』(岐阜:花と鳥のイリュージョン)をお書きになっている。また、江戸いきもの彩々 : 総合図書館貴重書展 : 平成23年度東京大学附属図書館特別展示 : 展示資料目録http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/51283 も参考になりそう。